実家に帰りました。9月19日新高円寺クラブライナーでのライブ、よろしく!

久々に地元に帰った。前回、帰省した時はお正月で、大きくなった甥っ子と会ったりお客さんと話しをしたりと、それなりに刺激的で落ち着けなかったのだが、今回は普通の週末。去年の夏休みに帰って以来一年ぶりに通常通りの故郷を眺める機会に恵まれた。

毎回のことなのだが、以前あった建物が無くなったり廃業して駐車場か大型ドラッグストアに変わっている街の姿を見るのは、何度経験しても少し切ない。馴染みのあったコンビニや小売店が店を畳んでいるのに気づくと、何だかもの寂しい気分に陥る。去年には働いていた人たちはどこに行ったのだろう。タバコ屋のおばあちゃんはきっともう亡くなったのか介護施設に入ったのだろうか。しぶとくまだ生き残っているたこ焼き屋のおばちゃんは、今もお客さんの小学生を捕まえて、マザーテレサについて語っているのだろうか。
母親が運転する車のカーステレオに、持参したCDをかけながら繰り広げるこの様なセンチメンタルな空想は、毎回の恒例行事で、「自分ってベタだなー」とどこかで分かっていながら、でもそれ以外にやる事が思い浮かばず、一種の心地よさを持って、物思いにふける。そして街のガイドさんである母親の「あそこの○○さんは○○して捕まったんやに」「○○君、ここで働いてんのやに」といった説明を上手く聞き流す事に神経を使う。

毎回、おんなじ。でも今回ちょっとした新発見。

これまでなら、昔変わらず存在する友達の家やお店を見ると、何だか「ホッ」とした気持ちになれたのだが、なぜかしら、昔と変わらない印象を与えてくれる光景が目に入った時、ほんのちょっとではあるが「イラッ」とした。

はて、これは何だろうと考えて30秒。いや15秒。すぐ分かった。紛れも無く自分自身に「イラッ」としたのである。去年や一昨年、否、高校3年生の時の自分と今の自分との(色んな意味で)ギャップの無さに、そしてその光景が「お前もこんな風になるよ」と僕に笑ったからだった。

そんなちょっと角田光代の小説の主人公のような思考を繰り広げ、「東京帰ったらこの事をブログに書こっ」と反射的に思った自分が、とてつもなく「安く」感じたのはご愛嬌。


唐突だけれど、僕はいつか、ブライアンウィルソンが「サーフィンと車とガールズ」の曲を作曲し演奏したように、「東京」についての歌を書いてみたいと思った。

 写真は僕の家の前にあったサークルKの現在の姿。